我が家のカンモ君☆ときどき緘動

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の息子との日々を綴るblogです。

最高の思い出になった運動会 2

運動会当日。



スムーズに集合できた事も、成長の証。

得意のかけっこが最初だったのもあり、ニコニコで幸先の良いスタートでした。

宣言通りに1等賞‼︎

サーキットや跳び箱も素敵な笑顔が見られました。


今までは見られたくないと言われていたので、隠れてコソコソしていました。

だから、堂々と応援して写真を撮るのも初めての運動会。

「頑張れ〜」って言うと笑顔で返してくれる。

それが何よりも嬉しかったです。

元々、運動は好きな子だから、やっと人前でも伸び伸びと動けるようになって、本当にたくましくなったんだなと思いました。


和太鼓の演奏も最高でした。

とても格好良かったです。

最後の「ハッ」という声もしっかり聞こえました。

すごい、すごい、すごい‼︎

人前で声を出せるなんて。

できない事がまだたくさんあった、1年前の運動会。

どれだけ頑張ると、1年でこんなに成長できるのだろうかと感心しました。

楽しんでいる様子が、しっかりと伝わってきました。


想像以上の活躍に感動しながら、最後のクラス対抗リレーになりました。

まずは女の子からだったのですが、カンモ君がトラックの中に入ってきました。

あれっ?どうしたんだろうと不安になっていると、大きなクラスの旗を持って応援を始めました。

各クラスのアンカーが代表で、旗を振って応援するのです。

これは知らなかったので、嬉しい驚きでした。

こんな大役まで務められるようになったなんて、すごいなと思いました。


あっという間に女の子が終わり、旗を掲げたカンモ君を先頭に、男の子が入場してきました。

しっかり見たいのに、涙が後から後から溢れてきました。

ドキドキドキドキ、見ているこちらの方が緊張してしまいます。

私の中のイメージは、カンモ君が前に走ってる子を抜かして1位でゴール。

何日も前から、ずっとそのイメージでした。


実際、カンモ君は2位でバトンを受け取りました。

1位の子とは半周近く離されていたので、正直厳しいかなと思ってしまいました。

その瞬間、カンモ君だけ早送りにしたかのようにグングンと追いついていきました。

我を忘れて、悲鳴と涙とすごい状態で必死に応援しました。

グングングングン走り、抜けると思った瞬間にゴール…

あと1メートルでも長ければ抜けたのに…。


でもカンモ君の顔を見たら、とても清々しい顔をしていました。

思い切り走れて、気持ち良かっただろうなと。

まさに風のように駆け抜けていったカンモ君。

ここまで速いとは知りませんでした。

まさかの追い上げで、こんなに会場を盛り上げて、自分の息子ながら最高だと思いました。


ビデオを見返した時、夫の声にならない声が入っていて、それにも涙が出てきました。

周りの大歓声も改めて聞いてみると、追い上げているカンモ君を応援する声、「あの子すごいね」と褒めてくれる人が映っていて、改めてカンモ君はすごいなと感じました。


年少・年中の運動会の時には辛い思いをした分、最後の運動会でまとめて幸せを感じられたのかな。

なんでもなかったら、こんなに感動する事はなかったと思います。

今までがあったからこその、この感動。

夢の中にいるような、信じられないような気持ち。

カンモ君が活躍する姿をずっと夢見てきました。

本当に実現したのだけど、最高過ぎて頭がついていけません。

想像以上の運動会でした。

泣きっぱなしだったけど、嬉しい涙、感動の涙。


カンモ君、ありがとう。

ママはこれからも頑張れる気がするよ。

最高の運動会でした‼︎

褒める言葉しか見つからない。

カンモ君にとっても、幼稚園の一番の思い出が運動会のリレーだったと知り、さらに嬉しかったよ。



最高の思い出になった運動会 1

幼稚園生活の中で、一番の思い出が年長の運動会のリレーでした。
これはカンモ君も同じだそうです。
なので、この時の事を書くのは特別な思い入れがあります。

年少の時にはちゃんとできたのはバルーンだけでした。
年中の時には入退場とかけっこ、最後のダンスができました。
毎年泣いてしまい、全部できた事はありません。

この年は和太鼓の練習が早くから始まり、カンモ君は大きい太鼓がやりたいとずっと言っていました。
大きい声を出してピシッとやらないと、大きな太鼓には選ばれないので、親としては頑張れと応援するしかなく…。

しかし、見事に大きな太鼓に選ばれたのです‼︎
一番後ろで台の上に乗ります。
退場の時には一人で太鼓を叩き、みんなが退場したら「ハッ」と掛け声をかけてポーズをとるのです。
運動会本番まで、気付くと手で足を叩きながら太鼓の練習をしていました。
幼稚園でも先生がかなり厳しく、泣き出してしまう子もいるくらいの熱の入れようでした。

ほかの種目も練習が始まり、すべてが順調でした。
かけっこは絶対に1位がとれると自信満々でした。
跳び箱では一番高い7段に選ばれました。

そしてクラス対抗リレー。
順番を決める時に2位になってしまったらしく、アンカーになれませんでした。
しかし実際にリレーの練習をしてみると、カンモ君をアンカーにするといい成績がとれると先生から連絡がありました。
「カンモ君をアンカーにしたいです。というか、アンカーにします‼︎私はカンモ君を信じています。」
との先生の力強い言葉。
今でも忘れられません。

先生の中でも大変な葛藤があったと思います。
練習ではできていても、本番ではどうなるか…。
かけっこには自信があると言っても、運動会一番のメイン。
大盛り上がりで大歓声のプレッシャーの中、本当に走ることができるのか…。
親としては不安と期待とが入り混じった気持ちでした。
これが成功したら、カンモ君にとってすごくすごくプラスになるのではないかと思いました。
先生の言葉が嬉しくて、本当に感謝しかありません。

カンモ君がリレーの話をする時は本当に楽しそうで、本人には何の不安もないように見えました。
その姿を見て、当日までカンモ君のモチベーションをあげ、とにかく褒めて自信をつけさせようと思いました。

カンモ君がリレーのアンカーだなんて、こんな夢みたいな事が起こり、現実味がなくてふわふわした気持ちでした。
「きっと大丈夫」人に言われたら嫌だった言葉のはずなのに、自分で何度も口にしていました。

1年前までタイムスリップ(^-^;

ちょうど1年くらい前の事で止まっていました。

ゆっくり1年間を振り返ってみたいと思います。

途中で何かを思い出し、時系列がバラバラになってしまう事もあるかもしれませんが…(>_<)



年長の夏休みにはもう一つ大きなイベントがありました。

お泊り保育です。

お泊り自体は年中の時にもしていたのですが、やはり突然トイレに行きたくなってしまった時に言い出せないなどの心配がまだありました。

しかしカンモ君を迎えに行った時の顔を見て、親の心配はよそに、とても楽しんできたのだと一目でわかりました。

なんだか一回り大きくなったような、たくましくなったようなカンモ君。


今まではイベント前となると本当に苦痛で苦痛で仕方なかったのですが、ほんの少しだけ気が楽になってきたように思います。

年長になり、目に見える成長にビックリでした。

カンモ君が自分に自信がついてきているのも感じました。

お友達との関わり合いが大きいのだろうと思います。

この頃には仲良しのお友達もでき、その子たちとは普通に喋ったりふざけあったりできるようになっていました。

いつも一人ぼっちで粘土遊びをしていた頃が嘘のようです。


本来なら、元気に動き回るのが大好きなカンモ君。

ヤンチャでワンパクな男の子です。

でも年少の頃は一人で椅子に座って粘土遊びか、砂場でおとなしく砂をいじるかが定番でした。


そう言えば、生後数カ月の頃からサークルや児童館に行っても、私のそばを離れる事はなかったな〜と思い出しました。

慣れればお友達とも遊べるかなと思っていましたが、結局幼稚園に入るまでお友達と遊べる事はありませんでした。

その頃は人見知りが強いだけだと思っていましたが、まさかあんな小さな身体で不安と戦っていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。


だから幼稚園での友達が、カンモ君にとっての初めての友達でした。

そして私にとっても家族以外と普通に喋っている姿を見られるのは、いつでも嬉しいものでした。

お友達は本当に大切です。

お友達ができなかったら、カンモ君もこんなに順調に成長できなかったと断言できます。

「お友達と遊ぶのは楽しいこと」と、カンモ君自身が自然とわかっていったのだと思います。

時にはケンカをして仲直りをして、みんなでふざけすぎて先生に注意されたりと、笑っちゃうくらいに子供らしさを発揮できるまでになりました。


親の思考が追いつかないくらい、幼稚園で急成長していました。

場面緘黙と診断されて約3年半

久し振りにblogに戻ってこられた事もあり、懐かしさから全部読み返してみました。

読んでいると、いまだに当時の感情がぶり返してきて、涙が出てきます。


場面緘黙症と診断されてから、もうすぐ3年半。

正直な気持ちは、もうそんなになるんだなぁ…と。

あの頃はカンモ君が3年半でこんなにも成長するなんて、まったく想像できませんでした。

どこを見ても真っ暗闇でした。

私自身、本当に辛くて苦しかったです。

なんでカンモ君が場面緘黙症なんだろうと、思わずにはいられませんでした。


一番最初に行った病院では、場面緘黙は親が悪いと言われました。

絶対にカンモ君を怒ってはいけない。

怒鳴り声を聞かせてはいけない。

親がきつく怒るからこうなったんだ。と、言われました。

私なりに色々調べてから受診したものの、医者からのこの言葉は胸の中に大きな石を埋め込まれたような衝撃でした。


今なら「そんな事はない‼︎」とハッキリ反論できますが、当時は頭が真っ白になり、自分を責め続けました。

私のせいでカンモ君をこんなに苦しめてしまっているのだと。


そして当時、カンモ君の前で「喋れない」という事を言ってしまうと、泣いてパニックになってしまうので、本人の前では言わないでくださいと医師に事前説明したにも関わらず、第一声で「喋れないの?」と本人に聞く始末。

もちろん大変な事になり、診察どころではなくなってしまいました。


カンモ君の状況を市に相談して紹介して頂いた、この辺りでは有名な病院でした。

しかし私は信用できないと感じてしまい、そちらの病院に行ったのはこの1回きりでした。

私たちの住んでいる地域では、療育も場面緘黙症には対応していないと言われてしまい、どこにも頼れなくなってしまいました。


そこからは自分で色々調べて勉強していたのですが、4ヶ月ほど経ったある時、場面緘黙症の当事者や家族が集まるシンポジウムがあるのを知り、私だけですが参加してみる事にしました。

お話を聞いたり、質問したり、DVDを見たり…私が求めているものがそこにありました。

場面緘黙症の当事者や家族の生の声が聞きたかったんです。


DVDに至っては当事者の気持ちがわかりやすく、本当に本当に素晴らしい作品でした。

喋りたいけど声が出ない。

みんなと遊びたいけど体が動かない。

反応はできないけど、話しかけられると嬉しいんだよ。

そうだよねと、胸がきゅーっと締め付けられる思いでした。


そして過去に場面緘黙症だったという、何人かの当事者の方とお話させていただいたのですが、一番聞きたかった事も聞けました。

「幼稚園の頃、喋れなくて辛かったですか?」

私の一番の気がかりは、カンモ君は幼稚園での楽しい思い出が作れるのか?という事でした。

もしかしたら、喋れない事で辛い思い出しか残らないんじゃないか?と心配だったのです。


答えはどの方も「辛い事はあっただろうけど、喋れないなりに楽しみ方は見つけられた。

辛い思い出よりも、普通に楽しい思い出が多いよ。」

という内容でした。

もちろん人にもよるのでしょうが、その言葉が私の救いになりました。


幼稚園が辛いだけの場所になって欲しくない。

辛い思い出だけにしたくない。

カンモ君にも、みんなと同じように楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと、それがとても気がかりだったのです。


この時のシンポジウムがきっかけで、場面緘黙症の保護者と定期的に会える繋がりを持つ事ができました。

私は周りの人には、カンモ君が場面緘黙症だと、一切話していません。

そのため、相談できる人がいなかったので、

私とカンモ君にとって、大きな大きな一歩となりました。

遠かったけれど、参加して本当に良かったと思える1日になりました。


この辺りから、環境が少しずつ良い方向に向かって行ったように感じます。

幼稚園で月一回、臨床心理士さんの面談を受け始め、年少の終わり頃には近隣の市の療育を紹介していただけたのです。

私たちの住んでいる市での療育は無理だった為、近隣の市の施設で場面緘黙症に対応した療育が受けられるというのは本当に嬉しかったのを覚えています。

やっぱり自己流ではなく、専門的な療育を受けたいと常々感じていました。


通っていた幼稚園がとても協力的だったのも、私たちの救いだったと思います。

どうすればカンモ君にとっていいのか、一緒に考えてくれました。

臨床心理士さんの紹介も幼稚園でした。

幼稚園では今までに、卒園までに喋れなかった子はいなかったそうで、担任の先生も勉強してくださったそうです。

blogにはまだ夏休みの頃までしか書いていませんが、この後も卒園まで幼稚園や担任の先生には感謝しっぱなしです。


この頃に私が悩んでいた時、夫や両親の「大丈夫」という言葉が一番辛かったです。

何が大丈夫なのだろうか?どこにそんな保証があるのだろうか?

勝手に「大丈夫」なんて言葉を言って欲しくありませんでした。

もちろん、私を励ますための言葉だったのはわかっていました。

協力してくれているのもわかっていました。

でも私にはその場しのぎの「大丈夫」が大嫌いでした。


きっと気持ちが荒んでいたのでしょうね。

明日、1週間先、1ヶ月先…とかじゃなく、カンモ君の将来が心配で心配で、誰に何と言われても受け入れられなかったのです。

今となれば、そんな先の事まではまだ考えなくてもいいのにと思えるのですが、それだけ必死過ぎて周りが見えなくなっていました。


blogを読み返していて、あの頃の私とカンモ君に「本当に大丈夫だよ」と伝えてあげたいなと思いました。

たった3年半で、こんなに立派にたくましく成長するんだよ…と。


色々な思いが湧き上がってきてしまったので、こんなに長々と書いてしまいましたが、また続きから書いていきたいなと思います。

本当にずいぶん克服してきてはいますが、まだまだ場面緘黙症は過去の事にはなりません。

でもいつか、自分自身の力で克服することができると、今は信じられるようになりました(*^^*)




やっと…(´;ω;`)

ずっとずっとログインできなくて、blog離れしてしまいました。



今日ふと思い、再チャレンジしてみたのですが、やっぱりログインできずため息をついていたところ、突然頭にパッと思い付いたパスワード‼︎

見事にログインできました(*^▽^*)

普段使わないパスワード設定。

人間の思い込みって恐ろしいですね…。

これだ‼︎と思っていたパスワードを何度も何度も繰り返してばかりでした。


私の周りでこのblogを知っているのは長女だけです。

長女に教えてすぐに、blogが更新できなくなってしまいました。

長女よ、戻ってこられたよ。

もう見てないかな?(・・;)


でも私には書きたい方が山積み。

かんも君の成長を、覚えている限り書きたいと思います。


かんも君は4月から小学1年生。

現在夏休み真っ只中ですが、とても元気に1学期を過ごしました。

見た目も中身も、本当に逞しく成長しています。

思い出すだけで涙が出そうな、かんも君の努力の跡を少しずつ追って記していきます。


このblogに戻って来られて、本当に良かった‼︎





夏休み前の出来事 2

こちらも夏休み前の事。
通常は誕生会の司会は1回きりなのですが、担任の先生が経験を積ませてくれるために、2回目の司会をやらせてくれました。
こういった対応に、本当に感謝しかありません。
2回目の方が、大きい声が出ていたようです。
直接見られなかったのは残念ですが、親のいない所で大きな成長を遂げていると思うと、随分たくましくなったなと思います。

夏祭りも、初めて親から離れてみんなとお神輿を担げました。
盆踊りも動きは小さいながらも、ちゃんと出来ていました。
去年までは出来なかった事が、目に見えて成長しています。
集合時、モジモジしていたので今年もダメかなと思っていたのですが、お友達の姿を見つけると親の方なんて振り向かずに走って行ってしまいました。
かなり心配をしていたのですが、お友達の力は凄いなと感じました。
こうして一緒に楽しめるお友達が出来たことも、本当に嬉しいです。

年少児は手を持ってお神輿を掴ませようとしても手を伸ばせず…。
年中児は片手でパパと手を繋ぎ、片手でお神輿にそっと触れていました。
今年は笑顔も見られ、確実に1年ずつ成長しています。
ゲームも一人で出来、楽しみながらイベントを過ごす事ができました。

幼稚園では声すら出せなかったのに…
親の側から離れる事が出来なかったのに…
少しずつ少しずつ、でも確実に成長しているカンモ君です。

夏休み前の出来事

途中まで書いて下書きに入れたまま数ヶ月…。
継続してブログupすることに、思った以上に苦戦しています(^_^;)


ずいぶんと安定した生活が送れていたカンモ君。

幼稚園で月2回のスイミングスクールが始まったのですが、初回にインフルエンザで欠席してしまいました。
次の時に馴染めるか心配だったのですが、全く気負いもせず、全快で楽しめていたので本当に安心しました。

今までだったら『初めての事』にはモジモジして動きが鈍くなってしまい、見ているこちらが辛くなってしまう程でした。
また先生も『初めての人』だったので、馴れるまでに数回かかるかなとは覚悟していたのですが、全くそんな事はありませんでした。

初回から楽しそうに笑い、お友達と会話し、大きなリアクションもできていました。
他の人には普通の事かもしれませんが、カンモ君にとってはすごい事で、とても大きな成長です。
ただその姿を見ているだけで、涙が我慢できませんでした。
入園した頃には、笑った姿や楽しさを表現する姿、自由に動ける姿なんて想像が出来ませんでした。
こんなに自然な姿が見られる日がくるなんてイメージできなかったのです。

上の子供たちの時には当たり前に過ごしてしまった事が、実は当たり前ではなかったと、カンモ君に気付かせてもらいました。

でも良い事ばかりではなく…ここまで順調にすすんでいた事が奇跡なんですが…
実はこのスイミングスクールの日にお漏らしをしてしまいました。
スイミングの日は他のクラスとの合同で活動をするのですが、朝、歌を歌っている時にトイレに行きたくなり先生に言い出せずに漏らしてしまったのです。
前から、途中で行きたくなった時には手を挙げてトイレに走って行っちゃって大丈夫だよ。もし無理なら、そのまま行っちゃってもいいよ。隣のお友達に言ってもらう?などと、話してはいたのですが、いざなってみると【我慢をする】という選択肢しかなかったようです…。
こういう普段と違うパターンになってしまった時には、まだまだ不便を感じてしまいます。
動けなくなってしまうんですよね。
[ 重要な会議中にトイレに行きたくなり、席を立つにも立てずひたすら我慢をする ]
心境としては、切羽詰まったこんな感じなのかな?と考えてみたり…。

わからないながらも、少しでもカンモ君の気持ちに近づいて考えてみようとしたら、何か見えてくるのかな?