場面緘黙と診断されて約3年半
久し振りにblogに戻ってこられた事もあり、懐かしさから全部読み返してみました。
読んでいると、いまだに当時の感情がぶり返してきて、涙が出てきます。
場面緘黙症と診断されてから、もうすぐ3年半。
正直な気持ちは、もうそんなになるんだなぁ…と。
あの頃はカンモ君が3年半でこんなにも成長するなんて、まったく想像できませんでした。
どこを見ても真っ暗闇でした。
私自身、本当に辛くて苦しかったです。
なんでカンモ君が場面緘黙症なんだろうと、思わずにはいられませんでした。
一番最初に行った病院では、場面緘黙は親が悪いと言われました。
絶対にカンモ君を怒ってはいけない。
怒鳴り声を聞かせてはいけない。
親がきつく怒るからこうなったんだ。と、言われました。
私なりに色々調べてから受診したものの、医者からのこの言葉は胸の中に大きな石を埋め込まれたような衝撃でした。
今なら「そんな事はない‼︎」とハッキリ反論できますが、当時は頭が真っ白になり、自分を責め続けました。
私のせいでカンモ君をこんなに苦しめてしまっているのだと。
そして当時、カンモ君の前で「喋れない」という事を言ってしまうと、泣いてパニックになってしまうので、本人の前では言わないでくださいと医師に事前説明したにも関わらず、第一声で「喋れないの?」と本人に聞く始末。
もちろん大変な事になり、診察どころではなくなってしまいました。
カンモ君の状況を市に相談して紹介して頂いた、この辺りでは有名な病院でした。
しかし私は信用できないと感じてしまい、そちらの病院に行ったのはこの1回きりでした。
私たちの住んでいる地域では、療育も場面緘黙症には対応していないと言われてしまい、どこにも頼れなくなってしまいました。
そこからは自分で色々調べて勉強していたのですが、4ヶ月ほど経ったある時、場面緘黙症の当事者や家族が集まるシンポジウムがあるのを知り、私だけですが参加してみる事にしました。
お話を聞いたり、質問したり、DVDを見たり…私が求めているものがそこにありました。
場面緘黙症の当事者や家族の生の声が聞きたかったんです。
DVDに至っては当事者の気持ちがわかりやすく、本当に本当に素晴らしい作品でした。
喋りたいけど声が出ない。
みんなと遊びたいけど体が動かない。
反応はできないけど、話しかけられると嬉しいんだよ。
そうだよねと、胸がきゅーっと締め付けられる思いでした。
そして過去に場面緘黙症だったという、何人かの当事者の方とお話させていただいたのですが、一番聞きたかった事も聞けました。
「幼稚園の頃、喋れなくて辛かったですか?」
私の一番の気がかりは、カンモ君は幼稚園での楽しい思い出が作れるのか?という事でした。
もしかしたら、喋れない事で辛い思い出しか残らないんじゃないか?と心配だったのです。
答えはどの方も「辛い事はあっただろうけど、喋れないなりに楽しみ方は見つけられた。
辛い思い出よりも、普通に楽しい思い出が多いよ。」
という内容でした。
もちろん人にもよるのでしょうが、その言葉が私の救いになりました。
幼稚園が辛いだけの場所になって欲しくない。
辛い思い出だけにしたくない。
カンモ君にも、みんなと同じように楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと、それがとても気がかりだったのです。
この時のシンポジウムがきっかけで、場面緘黙症の保護者と定期的に会える繋がりを持つ事ができました。
私は周りの人には、カンモ君が場面緘黙症だと、一切話していません。
そのため、相談できる人がいなかったので、
私とカンモ君にとって、大きな大きな一歩となりました。
遠かったけれど、参加して本当に良かったと思える1日になりました。
この辺りから、環境が少しずつ良い方向に向かって行ったように感じます。
幼稚園で月一回、臨床心理士さんの面談を受け始め、年少の終わり頃には近隣の市の療育を紹介していただけたのです。
私たちの住んでいる市での療育は無理だった為、近隣の市の施設で場面緘黙症に対応した療育が受けられるというのは本当に嬉しかったのを覚えています。
やっぱり自己流ではなく、専門的な療育を受けたいと常々感じていました。
通っていた幼稚園がとても協力的だったのも、私たちの救いだったと思います。
どうすればカンモ君にとっていいのか、一緒に考えてくれました。
臨床心理士さんの紹介も幼稚園でした。
幼稚園では今までに、卒園までに喋れなかった子はいなかったそうで、担任の先生も勉強してくださったそうです。
blogにはまだ夏休みの頃までしか書いていませんが、この後も卒園まで幼稚園や担任の先生には感謝しっぱなしです。
この頃に私が悩んでいた時、夫や両親の「大丈夫」という言葉が一番辛かったです。
何が大丈夫なのだろうか?どこにそんな保証があるのだろうか?
勝手に「大丈夫」なんて言葉を言って欲しくありませんでした。
もちろん、私を励ますための言葉だったのはわかっていました。
協力してくれているのもわかっていました。
でも私にはその場しのぎの「大丈夫」が大嫌いでした。
きっと気持ちが荒んでいたのでしょうね。
明日、1週間先、1ヶ月先…とかじゃなく、カンモ君の将来が心配で心配で、誰に何と言われても受け入れられなかったのです。
今となれば、そんな先の事まではまだ考えなくてもいいのにと思えるのですが、それだけ必死過ぎて周りが見えなくなっていました。
blogを読み返していて、あの頃の私とカンモ君に「本当に大丈夫だよ」と伝えてあげたいなと思いました。
たった3年半で、こんなに立派にたくましく成長するんだよ…と。
色々な思いが湧き上がってきてしまったので、こんなに長々と書いてしまいましたが、また続きから書いていきたいなと思います。
本当にずいぶん克服してきてはいますが、まだまだ場面緘黙症は過去の事にはなりません。
でもいつか、自分自身の力で克服することができると、今は信じられるようになりました(*^^*)